これから開催
私と赤松桂の出会いは、ある私立大学の付属高校1年の時。もっともその時は同じ学校に居たというだけで言葉を交わすことはなかった。そのままその大学に進学してやがて学生運動のただ中へ。気が付くとスクラムを組む横にお互いが居た。二人の共通点は、クリスチャン。私は故あってその1年前に洗礼を受けたばかりの俄信者。彼は3代続く生まれながらのクリスチャン。その違いは、キリスト教を建学の精神とする大学に対するラジカルな問いと闘いの、その根拠の深さに今から思うとあったように感じる。様々なセクトが混在するキャンパスの中で私たちが形成していった〈闘うキリスト者同盟〉は異質な色を持っていたと思う。その中心に赤松が居た。大学当局にとっては、建学の柱の意味を揺さぶる問いを発し続けた私たち、特に赤松という存在は小さくなかった。やがて私たちは、学校の〈中心〉にある礼拝堂をバリケード封鎖するという行動に出る。大学資本の象徴と化してはいるが、礼拝堂を封鎖するというのは、それぞれがそれぞれの痛みを持っての行動だったと思う。やがて彼は、街頭デモで逮捕され、未決囚として半年もの独房生活を強いられる。結果無罪。その時に彼が感じた〈檻の中に居ても外に居ても私を取り囲む檻があるという実感〉そして無彩色の独房に差し入れられたルノアールの画集。〈その色が特別に愛しくて手で撫ぜていた〉という彼の二つの言葉はその後40年経った今も、私の胸をふいに突いてくることがある。
大学を中退し、しばらくして彼は出版・編集の仕事に就く。やがて母親の介護の為、職を離れ、現在に至る。その間、あのときスクラムを組んだ何人かは付かず離れず事あるごとに出会いを重ねて来た。それぞれの生活を持ち寄り話す話の底流には〈あの時〉がある。決して懐かしんでいるのではない。あの時否応なく見てしまったものがその後のそれぞれの時間の中で確かに深く影響しているからこそまた集まるように私には思われる。
5年ほど前から赤松はデジカメで写真を撮り、それに言葉〈俳句〉を添えたものを、そのように集まる友たちにPCを通じ発信するようになった。そこには一貫してあの〈濫〉と、時としてルノアールの〈暖色〉を指でなぞるような彼を私は感じている。そのような彼の作業に対しそれぞれが言葉を寄せる。
野寺夕子さんから今回の企画を聞かされ、私にも一人写真家を推薦して欲しいと託された時、多少の迷いはあったものの、赤松を推すことにした。彼は無職。年金生活者。自らを徘徊老人だと言う。朝陽の苦手な彼は昼頃もぞもぞと起きだし、やがてCANONのデジタル・カメラ(一眼レフは持っていない)片手に、一日にときには700枚もの写真を撮りまくり、言葉を絞る。今まで作品展はしたことがない。もちろんプロのカメラマンでは無い。〈LUNA〉という写真と俳句集を還暦の年に1 0冊ほど作り、友人に渡してくれたが、世に出た写真集は無い。
パーソナルな極めて狭い世界でのこのような赤松桂の作業は、しかし今を生きる人たちの心臓のあたりをノックするものがあるかもしれないと私は思う。
斎藤洋
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