資料2 五番町時代
LOVEminusZERO 09.03.15更新ページより
というようなわけで某日、大宮まで行ってきた。
なぜか自動的に、五番町時代の同窓会とあいなった。
この日の主役は斜夢。肩書きでいえば、染色家。風工房の主催者。
デザイン、製造、展示、販売まで一貫して一人(というか、家内工業)でこなしている。
もう一人は、彦一。かつては漫画家、いまは伝統工芸家といえばいいのか。「和灯」製作。和紙と灯かりを組み合わせたオリジナルな照明をつくる。こちらもデザイン、製造まで独り仕事。和紙はいまは出来ものを使っているという。
彼の作品の画像は、07年4月の更新記事がある。
一人は京都で、一人は宇都宮、こちらは東京の外れ。何年かに一度は会っているんだが、三人いっしょというのは、考えてみれば、数十年ぶりだったような。
たがいに健在。それも「芸の道」を守っている。
なんて話だと、まるきり定年後「第二の人生」の過ごし方サンプルみたいに勘違いされそうでキモチ悪いが、そこは全然ちがう。ワレワレには第一も第二もない。なかったのだ。まるで、ずぅーっと今日までこんなふうに生きてきました、それ以外のいい方はなしのような。変わっていないことをお互いに確かめ合い、ひそかに呆れ合う(自分のことは棚にあげて)半日でありました。
やはり、五番町時代の同窓会。
五番町時代といっても、知っている人は当事者のみなのだし。説明抜きでここに書いてしまう無敵さは、われながら気持ちがいい。まあ、当日同席した方がたには、最低限のサワリのようなところは披露したけれど、聞かされるほうは迷惑だったかもしれんし。
木村アパートという比較的ふつうの名前だったが、昔の女郎屋を少し改装しただけの民間アパートだった。入口からウナギの寝床状の薄暗い通路を十メートル進むと、突き当たり中央の広々とした階段。その左の元「女中部屋」の住人が彦一で、階段を上がって右の並びの一室に斜夢。
たしか、一九七二年の大晦日だったと思う。ズタ袋ひとつかついで知人友人のところを転々としていたオレは、千本通りをうろついていて、或る啓示にうたれた。「ここは住みやすそうだな」と。
そのあたりに部屋を見つけて即決した。コタツとコタツ蒲団を買って、それだけがまず家財道具。大晦日だったことに深い仔細はない。たまたま仕事が休みだったからだ。三畳床の間押入れ付き、木村アパートの階段を上がって右の奥。窓は片側に一つと、別に丸窓があった。
そのうち一つ屋根の下の別の部屋に、自分と同じような「はみだし者」が二人も、騒がしく棲息していることを発見した。その瞬間の、あの嬉しいような哀しいような胸苦しいような「感動」はいまも鮮やかに残っている。
回顧談をやればキリがないから。
またそのうち。
ある時期は、思い出すどころではなかった。京都に行ったさいは何度も「再訪」している。昔のアパートはないし、界隈のステンドグラスを飾った昭和初期の建物なども消えた。それを見届けてからも、もう十五年以上は過ぎてしまったようだ。
コメントを送信