言葉は展示できるか
できっこない。
言い出しっぺはわしじゃない。もちろんそうだ。
二人の造型作家(職人)と同じ次元で展示できるものなど、物書きのわたしにはない。それでなくても、邂逅二人展にあった緊密なコラボレーションに入りこむ余地はないと感じていた。
「五番町物語を書くよ」
気軽に言ったのは、それ以外の途がなかったから。物理的に間に合わないことが決定的になった時、メルトダウンしかけた。フクシマの原発のごとく、暴走の果てに廃炉となる運命。客観的にはともかく、主観的には三人展の一角を支える根拠がなくなってしまったのだ。
直前に襲いきたった災害で動揺しなかったといえば嘘になる。しかし本質的には外からの衝撃だった。
会場には、いくつかの言葉が「展示」された。わたしがブログに、三月後半に発信した文章だ。言葉は無力だという意味で非力だし、空元気のポーズでもない。あの時点でいえるせいぜいのことしか書けていない。読み捨てられるものと自覚していた。ただ三人の現在を映しているので、「展示」には反対しなかった。
掛け軸ふうの文面展示
上の背景
金時鐘氏のエッセイ
『魂と罪責』にふれていただいた文章
この件については明日
上の遠景at風工房
本を展示した一角atU空間
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