二つの場処で
何が発信されたのか。正確には、当事者たるわたしにも、よくわかっていないところがある。
まあ、己れ自身を陳列したようなものだったから。
それは、カメラが切り取ったフレームにも、歴然と残っているのかもしれない。
K空間の一部。
全体像の三分の一ほど。オーソドックスな視角から。
ここに顕われているのは、
まぎれもなく〈悼み〉だ。これが主要なメッセージではなかったにしろ。
U空間の一室。
時間の堆積と三人のセッション。懐かしいアングラ芝居の臭気。
上の一景の部分拡大。和灯と風布と書物。
書物はたんにオブジェではなく、その内容とものセッションに参加している。『魂と罪責』――この故郷喪失者についての物語を、斎藤は、著者のわたし以上に、今回の三人展の影のモチーフとして押し出してきた。観る者によっては、強く雄弁に語りかけてくるようだ。
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