やったぜ
38年前には思いもしなかった。
38日前にも思いもしなかった。
38時間前にも思いもしなかった。
最終日には、安pon胆スリーが第二会場、聖母たちが第一会場のシフト。第二会場には黄昏のUU時間が流れているうえに、主人は日没閉門の内田百間的原則を守る人。こちらのイメージする日没時間とは誤差があって、とくに夕刻近くになって両会場を行き来した一部のお客さんには、東電の公式声明にあやかったような混乱を与えてしまった。ひたすら陳謝々々。まあ、それすらも演出効果としてのみこんだようなU空間で、三人の三人展は終わった。
隣りは自然酵母のパン屋さん。超自然の空間に、陳列物、そして見るからに安pon胆な三爺のコラボレーション。間違えて入ってきた人には驚きだったろうが、これは最終日に、いかにもふさわしいフィナーレだった。 38年前には思いもしなかった。 38日前にも思いもしなかった。
とにかく。来週には、震災一ヶ月という区切りがくる。復興の二文字が、さらに大きくニシキの御旗となるだろう。
その短い一ヶ月間に、わしらは、準備の大詰め、迷い(この時期にウンヌン……の)、開催、そして今みたされている達成感、と。天国と地獄のアップダウン・ドライヴを一回かぎりのごってりした濃密さで体験してしまったわけだ。ポスト3.11の時代は否応なく押し開かれてしまった。今回の大災害がたんなる天災だなどとは誰も思いはしまい。
原子力支配の国策で突っきってきた三十年。それがすぐさま終焉するとは希望できないにしろ、「敗戦責任」はすべての全国民の肩に課されていくだろう。
その狭間に、わしら安pon胆スリーは、ささやかなイベントを実現させた。ささやかな交歓であり、私的な再会の連なりだっただけで、何らかの社会的メッセージを志したものではない。ただ考えたことはある。熟成のタネになることも多く受け取った。
わしら以上に安pon胆な者もいれば、わしら以上に病に捕まった者もいた。思うのは、これは個人的な事柄であるとともに、超個人的な事柄なのだ。被災が精神的なところまで侵してくることを、この間に知った。しかし、だからといって予定したスケジュールを中止もしくは延期するという選択肢はとれなかった。
その糧は、わしら自身が自覚している以上に大きいと思う。
今日から、こちらは日常時間にもどる。
会期の会場報告、それと糧を言葉化していくこと。このブログは「ポスト三人展」のような取り組みで、もうしばらく続けてみよう。よろしくお願い申し上げます。
安pon胆スリーとそれぞれの聖母たち(合計重量はマル秘)に乾杯!
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