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[第二章]未定稿より抜粋 佐伯=ホセが漆黒のUに踏み迷うところ
おれにとっては、ここは、変わらず胡蝶夢園だ。結城には申し訳ないけれど、〈スペース・U暮まで〉と呼ぶのは、どうもしっくりこない。イベント・スペースという化粧は本性を隠す仮のものに思えていた。
洋館はすっかり灯りを落としてしまっている。結城も帰った後なのだろう。暗がりに馴れてきた目に、ようやく敷地の奥までがぼんやりと見渡せてきた。
手入れをすればちょっとした庭園にもなる場処だが、持ち主は、雑多な灌木や草花の気ままな生存にまかせている。かえで、くすのき、山椒、いちょう、ぼけ、椿。わらび、夾竹桃、夏みかん、ざくろ、柚子、いちじく。そして主も名前を知らない草木があちこちに散らばっている。手入れなどしたことがないと言うが、それは一種の照れだろう。
いつか、漆を生やしたら思ったよりよく伸びて驚いた、と結城は言っていた。かぶれるよって近くに寄ったらアカンでと注意する一方、ここの漆は紅葉するんやでとも自慢していた。そのエリアは――北西の角にあたる。「ああ、ウルシは怖いしな」と、佐伯はさりげなく受け流しておいたが、内心では、針ネズミのように固まっていた。漆は後から植えられたものだし……。ふつうは紅葉しない漆の葉が、ここの秋にだけ血の鮮やかさに染まるというのは、出来すぎた怪談みたいではないか。
漆に近寄るなと言ったときの結城の目は、心なしかどろんと濁っていた。佐伯は緊張を逸らすために、大麻でも栽培せんのけ、とお寒い冗談をとばした。結城は、思ったとおり「わしは誰でも思いつくようなことはやらへんのや」と、軽蔑したふうな表情をみせたものだ。言われなくても、おれは漆の繁みになんて近づかんよ。あそこは、胡蝶夢園の聖域やったんや。そのことは、あんたが知らんでもいい。
いや、それとも……。結城は何か知っていて、あのエリアを封鎖するように漆の木を育てたのか。
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