ポスト3・11の時代
風の便り 2011年 3月15日発行 風工房・斎藤 洋
皆様ご無事でしょうか。私達の住む京都は被災地より遠く、もちろん安全は確保されていますが、
東北には知り合いも多く、特に毎年のように野染に呼んで下さっていた、いわきの保育園の事は殊の外心配です。
皆様もそれぞれ大変な思いをされている事とお察しします。
今日本は深い衝撃と悲しみに打ちのめされているようです。
それでも被災された方々の多くは、その極めて困難な状況の中で驚くべき謙虚さを保ちながら、助け合い生きようとされているように見えます。
原発の危機的な状況も含め、深い悲しみの中、大切な学びを今日本全体がしているようにも思います。
The Unholy Three 3人展 やります
以前より計画していた3人展、このような状況の中で果たしてできるのか、して良いのか悩みました。しかしやはりすることにしました。
テレビなどを通じて伝わって来る被災地の様子を見ていると、何とも重い気持ちになり、作品展より今為すべき事があるのではないか、などと思い巡らせておりました。
しかしこのような状況であるからこそ精一杯自らの作業をこなしてゆくことが大事であると決めました。たっぷりと力を蓄えた「身体」を準備しないとな、と思い定めました。
やるぞ 野崎六助
何をどう発信していいのかわからないままに、日々がめくられていってしまった。
風工房からメッセージが送られてきたので転載する。転用ついでに、わたしの現状も少し。
泥舟のように家が揺れた。
階段から、二階の廊下にかけて、本が散乱した。本が崩れる、お城は見えぬ。崩れ落ちた本は、じっさいの数以上の分量に映って醜悪だ。そのなかに、猫が一人、下敷きになって淋しく息絶えていた。哀しみよりも、散乱した本によって部屋のドアが開かなくなっていることに呆然とした。もしだれかが中にいたら閉じこめられていただろう。
その日は、尊敬する詩人のT賞受賞祝賀会に行く予定だったが。
いやおうなく、われわれは、まったく未知の黒々とした時代に突き落とされてしまったらしい。後にはもどれない。巨大地震、広域津波、原発壊滅。パニック映画で見慣れてしまった情景を、テレビの報道画面でくりかえし観ることの不条理にうなされる。ポスト3・11に、巨大余震と放射能蔓延とそれらを膨張させる流言蜚語の猛威に、ただ立ち尽くす日々。
当日、数時間をついやして、崩れた本の瓦礫を片づけて一階に降りると。
もう一人の猫がおれのパンをがつがつと齧っているではないか。激震と同時にしっかりとコタツの中に避難したのは見えていたが、たくましい生存欲である。この間、外の家族の安否を確かめようとしたが、ケイタイは全然つながらず。外からの生存確認の電話が数本。みな、ようやくつながったと言う。
三人展は、同一の内容であっても、この情勢のなか、異なった成立を呈するだろう。
とにかく、やります。
ただ、この予告は、上記の風工房斎藤と野崎の二人による現状の見解です。合意とは違うし、多数決での決定でもありません。わたしの主観では、和灯屋鎌田は福島に近く、かなり流動的な状況にあります。
引き続きの報告を待ってください。
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