資料4 二人展
LOVEminusZERO 2009.11.27更新ページより
二人展は、盛況のうちに、無事終了。
とりあえずは、斜夢、彦一、お疲れさんでした。
後半の二日間、見物と手伝い。ご厚意で、拙著まで展示し、二人展ならぬ、「二・五人」展の場までつくっていただいた。
時間の密度が濃すぎて、なにかバタバタと済んでしまったが、ま、こんなもんでしょう。
起点は、つまり、五番町(夕霧楼じゃなくて)木村アパートなんだが。
テーマは邂逅。出会い。35年経たリターン・マッチ。つまり、メモリアル回顧展みたいな引きずり方はまったくないってこと。これからもアグレッシヴに(ム、ムハハ…)ものを造りつづけようとする二人の、現時点での確認だ。
思い出せば、あの頃からすでに二人は、ものを造る人間だったのだな。
それが最も突出していたのが、染灯ホールに展開した合わせ染め布と灯かりのコラボレーション。
石蔵は二つあって、手前がメイン会場。数年前の、和灯展のときはここだけだった。今回は、奥の石蔵もギャラリー専用となり、いつもは、レストラン、ライヴホールとして活用されている。このレストランの奥の、変型五角形の空間が染灯ホールに変身した。
ここに足を踏み入れたとたんに、淡い電撃のようなものが身体を走った。「おお、これをやりたかったんだな」。言葉は無用。まっすぐな現存がここにあった。染め布だけ、灯かりだけでは、単独に成立しない、モノとモノとの融合。? 融合じゃないか。互いが互いの領分で、意地を張り合い、争っている。それが、大谷石の丈の高い米蔵という空間に、人工の意匠(芸術品といってもいいのだけれど)として直立している。
これが三十五年の成果だよ、と斜夢なら、照れて言うかもしれん。
レストラン
メイン会場
余談なれど、この空間は小規模なコンサート・ホールとしても使えそうだ。キャパは20人がいいところだが、エコーはじつに効いている。というのは、当日、彦一の友人の歌手チグリハーブが、いきなりという感じで歌うのを聴かせてもらったから。
ちなみに、ここは早速レストラン客席の一角として転用されはじめたという。
内装として商業ベースに乗せるのも、選択のひとつかな……。
もっと余談なれど。
あらためて三人での思い出話なんかになってみると、五番町に漂着するまでの転がり方がそっくりだったことに、気恥ずかしくも思い当たる。一人は救貧院みたいな所で命をつなぎ、一人は止まり木よろしく住みこみの職人となり、一人は友人宅を転々とする日々。やっと見つけた自分ひとりの巣が五番町。
キーワードは「逃げる」だったんだな。時代といってしまえばそれまで。誇りに足りることなど何一つない。逃げたつもりが、求めていたのはじつは「擬似的なコミューン」だったことに気づかされる。そして、しばらくの「お祭りの歳月」を浪費した。
んなことを語りだせば際限もないので、またの機会に……。
画像をまた送ってもらったので、追加しておく。
撮影者は、上の四枚が斜夢、追加分が彦一。
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