回顧と飛翔 三人展の企画
35年前。三人の若者がさるアパートで偶然に出会う。いつの時代にもある青春の1コマ。そこは京都は西陣の五番町、元遊郭の建物を改造しただけの安下宿だった。類は友を呼ぶというのか、大学は出たけれど、将来の方針も定まらず、ぶらぶらしている遊び人たちが群れるフリースペースと化した。毎日つづく「お祭りの日々」が数年間。
語るべき多くは、この後のこと。人生にはとんでもない偶然がおおよそ三回は起こるという。それは、五番町に住んだ三人の以降の軌跡にあらわれる。
風雨は強かった。だが、三人は、それぞれごく真っ当な暮らしに身を埋めた。爆弾闘争で花と散ることもなく、市民生活のラット・レースに磨り減ることもなく。人並みに家庭をつくり、子孫も増やした。とはいえ――。気がついてみれば、かつてと同じ風狂の血が騒いでいる。
一人は、宇都宮在住、和灯つくりの造型芸術家として郷土に知られる。
一人は、京都に定住し、布と染めにこだわる染色芸術家として、ユニークな主張と作品を発している。
もう一人は、わたし野崎六助。
もっとも、彼らを「芸術家」と紹介するのは、一般の通念にしたがったのみで、二人はむしろ職人と呼ばれることに誇りを感じるだろう。
何というか、三人とも、傍目にはずいぶんと一貫した頑なな人生を歩んできて、老年期をむかえたようにみえるかもしれないが、そうではない。互いの顔を見比べると、同類がみえる面映さ。一サイクル終えたあと、原点にもどるでもないが、思い出されてきたのは五番町時代だった。
二人の職人はすでに、二〇〇九年の秋、宇都宮で『染め灯り二人展』を成功させている。三人展なるイメージは、その時、冗談のように降ってわいたらしい。懲りないというのか、勢いに乗って、さらにスケールアップしたシーズン2京都版が計画されている。
The Unholy Three Exehibition なる仮称もあります。
二人の造形アーティストにはそれぞれの構想があるだろう。
言葉に生きるわたしとしては、具体的に展示するものがない。少なくとも、彼らの作品と同一次元に並べるものというと、本しかない。
そこで、一冊、書くことにしました。題材は、やはりあの出会いの豊穣な季節になるでしょう。あの馬鹿げた右往左往のすがたをひとつの証言として残すことは、じつのところ、前まえからの課題として気になっていたものです。しかし――。なぜもっと早くに書かなかったのかと問われれば、答えは明らかです。たんなる回顧だけでは、腐るほどある「七〇年代青春もの」の自己満足を一歩も出ないでしょう。過去を過去として語るのでは、そういった甘い罠から脱け出せない。自分らの体験が人より優れていたとかいう気持ちはありません。
必要なのは、ここに三人展が計画されるにいたったエネルギーの源泉を探りだすことです。作品のストーリーは、そこに向けられます。いかにして、ここにたどり着いたのか。そして、ここからさらなる飛翔をたくらんでいるか。
コメントを送信